宝善院について

宝善院について

黄檗山萬福寺塔頭「宝善院」

元禄三年(1690年)に独振性英禅師によって創建された、黄檗宗萬福寺塔頭寺院

江戸時代初期の元禄三年(1690年)に独振性英禅師によって創建されました。
明治8年(1875)に陸軍省の火薬貯蔵庫建設用地として政府に収接され、現在の地に移転しました。
御本尊様は釈迦牟尼仏、脇侍に独振性英禅師と蒲庵浄英禅師を祀っております。

独振性英禅師は当院を創建された方で、長崎の眼鏡橋等のアーチ式の橋の設計にも尽力されました。
蒲庵浄英禅師は御本山萬福寺二十三代住持であり、伊藤若冲と親交が深い方で、若冲筆の禅師の肖像画も残っております。
境内には、干支を守護する守本尊八仏が安置されています。参られた方の安寧を護持頂けると伝わっています。

独振性英禅師
(1610-1694)

当院開基。当の大通事を勤め、後に、剃髪をし1676年に宗祖隠元禅師の直弟子にあたる独吼性獅禅師の法を嗣ぎ当院の建立に至る。
長崎の崇福寺の一峰門(国宝)、中川橋等アーチ石橋三橋の建立、また廣善庵の建立にも尽力した。

蒲庵浄英禅師
(1722-1769)

当院第五代住持。
本山萬福寺、第二十三代住持も勤める。
伊藤若沖と親交が深く、若沖筆の肖像画も残る。

松樹千年翠 〜私たちの大事ににしてる言葉〜

この禅語は、松の翠(みどり)は千年も万年もいつまでも翠の輝きを放っていると云い、禅門では、松樹を仏(釈尊)とみ、翠をその教え(森羅万象の心理)とし、またその輝くすべを説法ととらえます。仏の教えは永遠に不変であるとの事です。又、写真の“松樹”の文字が“松寿”と書かれていますが、各家の幸せが永年続くことを願い“寿”の字をあてております。当院の庭には、青苔が敷き詰められ、中央には黒松が存在をあらわにしています。寺と檀信徒・有縁者の繋がりが、いつまでも寿である様、その事を一念に願って植樹された松です。一人でも多くの人が幸せになる様、感じられる様に当院は各家との絆を保つことを真摯に考え、仏教の教えを大切に日々実践しております。

黄檗宗

坐禅を基本とし、行を修する禅宗。
臨済宗、曹洞宗とともに、日本の三禅宗の一派で、本山が黄檗山萬福寺。

宗旨

"唯心の浄土 己身の弥陀"

宗祖

江戸時代初期に中国の福建省福州にある黄檗山萬福寺(古黄檗)の住職であった隠元禅師。
日本からの度重なる招きに応じ、当時の中国禅を伝える為 1654年に長崎に渡来。後に徳川幕府・後水尾法皇にも帰依を受け、1661年に徳川家綱公よりこの宇治の地に寺領10万坪を賜り、この教えを寸分違えず 伝えるという思いもあり、古黄檗と同じ山号・同じ寺号の黄檗山萬福寺を開山。そして、ここを本山とし、黄檗宗の法統を永々脈々と受け継ぎ今日に至る。