日日是好日

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太宰府天満宮と竈門神社

2022.04.12

ご縁があり、福岡県太宰府市にある太宰府(だざいふ)天満宮様と竈門(かまど)神社様へ参拝させて頂きました。今回は福岡県へ来る機会がありました。太宰府天満宮へは、10年以上前の平成23年の春に太宰府天満宮の近くにあります九州国立博物館に於いて『特別展 黄檗-OBAKU 京都宇治・萬福寺の名宝と禅の新風』が開催されており、その時以来のお参りでした。当時、修行道場の禅堂を出たばかりで一緒に坐禅を組んだ仲間たちと来ていました。懐かしい気持ちもあり、もう一度太宰府天満宮へお参りさせて頂くことにしました。

 太宰府天満宮

太宰府天満宮(福岡県太宰府市)へ10年以上ぶりに参拝させて頂きました。

太宰府天満宮は学業の神様とされる菅原道真(すがわらのみちざね)公の墓所の上に写真の本殿を建立し、その御神霊を祀る神社です。「学問・至誠・厄除けの神様」とされています。

太宰府天満宮の歴史

 (太宰府天満宮様パンフレットより)

太宰府に左遷され、延喜三年(903)この地で亡くなられた菅原道真公をお祀りしています。幼い頃から文才に秀でた道真公は、十八歳で進士、三十三歳で文章(もんじょう)博士となり、五十五歳で右大臣に就任しました。有力氏以外の右大臣は吉備真備(きびのまきび)以来のことで、異例の昇進は、藤原氏の強い反発を招き、延喜元年(901)、藤原時平のざん言により失脚、太宰権帥(だざいのごんのそち)として都を追われました。道真公が配所の榎社で薨去(こうきょ)されたのは二年後の五十九歳の時で、門弟の味酒安行(うまさけのやすゆき)が延喜五年(905)墓所に祠(ほこら)を建てたのが天満宮の始まりです。その頃、都で続く天変地異を道真公のたたりと畏(おそ)れた人々が、道真公を御霊として神格化するようになりました。延喜十九年(919)には勅命により社殿が完成し、道真公の御神徳を追慕(ついぼ)する庶民の間に天神信仰が広まり、太宰府は門前町として発展していきました。道真公の御墓所でもある現在の本殿は、天正十九年(1591)小早川隆景公によって建立され「五間社流造(ごけんしゃながれづくり)」。国の重要文化財にも指定され、今日も多くの参拝者をお迎えしています。

境内への入り口です。鳥居の前には参道があり、多くの観光客で賑わっていました。

太宰府天満宮の境内への鳥居です。この前には長い参道があり、多くのお土産屋さんや喫茶店が並んでいました。この鳥居は鎌倉時代末期に建立されたそうで、福岡県の文化財に指定されています。

正面の鳥居より本殿へ続く橋です。

鳥居をくぐり、少し進むと本殿へ続く橋が三つありました。手前より、太鼓橋・平橋・太鼓橋となっています。過去・現在・未来をあらわしているそうです。この鳥居から本殿までのこの橋や池などを配した場所を神苑と呼び、約200種類、6000本程の白梅と紅梅が植えられています。梅の季節には境内一円に清々しい香りが漂うそうです。

太宰府天満宮の本殿です。多くの参拝客が訪れていました。

神苑を抜け、楼門をくぐると本殿があります。堂々とした茅葺(かやぶき)の屋根、屋根下は美しく装飾されていました。本殿前にも多くの参拝者がおられました。学問の神様ということで、学生の方も多かったように感じます。

仏教の塔の新しい形式として伝教大師によって伝えられたものです。

本殿を正面に見て右側の門を抜けますと、緑に囲まれた場所があります。そこに入ると、写真の相輪橖(そうりんとう)がありました。相輪橖(そうりんとう)は、伝教大師(でんきょうだいし:天台宗宗祖 最澄)が伝えた仏教の塔の新しい形式のもので、心柱(しんばしら)が通り、下から露盤、覆鉢、請花、九輪、水煙、竜舎、宝珠の各部から成っています。享和二年(1802)に建立され弘化四年再建、千七十五年大祭記念として東神苑より現在の地に移転したそうです。日本には八基あり、九州にはこの一基しか現存しないとのことでした。緑に囲まれ、緑を通して日の光が差し込むとても美しく神秘的な場所でした。

太宰府天満宮の西門を入ったところに、天然記念物の楠の木がありました。

自然豊かな太宰府天満宮の境内には、天然記念物に指定されている楠(くすのき)がありました。この巨樹の樹齢は千五百年とも言われいるそうです。大正十一年に国の天然記念物に指定されています。高さ39メートル、根廻20メートル、目通12メートルです。西門近くに、この楠があります。

太宰府天満宮西門を出てすぐにある梅ケ枝餅屋さんです。太宰府天満宮周辺のことを丁寧に教えて頂きました。小豆あんを包み、こんがりと焼きあげられたお餅です。太宰府の名菓です。

太宰府天満宮の西門を出ると、太宰府名物の梅ケ枝餅(うめがえもち)を販売されている竹の家様があります。太宰府天満宮に到着した際、正面の入り口が分からず迷っていたところ、店先におられたここの店主様に道を尋ねました。正面の鳥居への道順を教えるだけではなく、親切に事細かく太宰府についても教えて頂きました。周辺の地図も頂き、大変助かりました。ありがとうございました。

太宰府天満宮を参拝した後に、改めてお店へ行き梅ヶ枝餅を頂きました。梅ヶ枝餅は太宰府の名物で、もち米とうるち米で作った生地に小豆あんを包み、こんがりと焼き上げられたお餅です。浄妙尼(じょうみょうに)という老女が不遇の道真公を哀れみ、餅に梅の枝を添えて送ったのが由来だそうです。

梅ヶ枝餅を頂いた後、知人に勧められた竈門(かまど)神社へ向かうため、太宰府天満宮を後にしました。

竈門(かまど)神社

鬼滅の刃の発祥の地と言われる神社です。

 宝満宮竈門神社は、縁結びの神社です。太宰府天満宮の鬼門(北東)に位置する霊峰宝満山のふもとに鎮座するお宮で、神武天皇のご生母である玉依姫命(たまよりひめのみこと)をお祀りされています。昔、地域の方は十六歳になると、友達とそろって宝満山に登り、「良縁」を祈り、山頂付近の木に願いの短冊を結んだそうです。最近では、大人気漫画「鬼滅の刃」発祥の地としても有名です。

境内のご案内

(宝満宮竈門神社様パンフレットより)

【季節と歴史を感じる境内】千三百五十年の悠久の時間と信仰が息づく竈門神社は、宝満山のふもとに鎮座する、緑豊かな神社です。桜や紅葉、銀杏やシャクナゲなど、四季折々にさまざまな自然のうつりかわりを楽しむことができます。また、平成二十四年に新築された社務所・参集殿は、伝統的な神社建築と現代的なデザインとが一体化した美しい空間となっています。自然の美しさと、いにしえの息吹を肌で感じながら、どうぞゆっくりとご参拝下さい。

福岡県太宰府市にあります竈門神社の鳥居です。

竈門神社の鳥居です。鳥居をくぐると、緑豊かな境内がひろがっています。ちょうど、もみじが若葉をつけ始めていました。

竈門神社本殿へ向かうため、緑豊かな参道を登りました。

新緑に囲まれた緑豊かな参道は、清々しい気持ちにさせて頂きました。この紅葉や桜の名所として、それを楽しみに参拝される方も多いようです。

縁結びの神社です。多くの方が参拝されていました。

参道を進むと本殿が見えてきました。曲線を描いた立派な屋根が大変美しい荘厳な社殿です。こちらも多くの参拝の方がお越しになられていました。本殿近くにお札やお守りの授与所があり、そこでは絵馬にご自身の願いと共に「鬼滅の刃」の絵を書かれいる方も多くおられました。竈門神社は、修験者(しゅげんしゃ)の修行の場でもあります。ここでの修験者の着衣の柄が市松模様だそうで、「鬼滅の刃」の主人公の竈門丹次郎の着衣の市松模様もそこからきているそうです。

 

今回は、太宰府天満宮と竈門神社へのお参りでした。新緑の季節に入り、緑に囲まれた両神社は清々しい空気が流れていました。以前にも太宰府天満宮にはお参りさせて頂いていましたが、立派な歴史ある社殿と自然豊かな境内に改めて感動致しました。太宰府には、他にも歴史ある神社仏閣が多くあるようです。機会があれば、お参りさせて頂ければと思います。ありがとうございました。

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