日日是好日

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海瀧山王龍寺(奈良県奈良市)

2020.11.23

私の修行仲間が11月22日に御目出度い事に結婚式を挙げました。式に参列しお祝いをさせて頂きました。

式は自坊の奈良県奈良市あります王龍寺様で行われました。本堂の摩崖仏(まがいぶつ:石佛)の十一面観音菩薩前で参列の方より祝福されながらの式でした。式後は、奈良駅横のホテルにて披露宴を行われました。

このコロナ禍において、万全の感染予防の上に執り行われました。準備等々、ほんとうに大変だったと思います。

式の合間で互いに見せられていた笑顔が絶えない素晴らしい家庭を築かれることを祈念致しております。

最後に、式が行われた王龍寺さまについて紹介させて頂きます。

御本尊様の写真は撮影禁止でしたので、写真の紹介は出来ません。ご参拝される機会がございましたら、是非お参り下さい。大変立派な摩崖仏でした。

王龍寺様で仏前結婚式が執り行われました。

海瀧山王龍禅寺紹介

王龍寺について

禅宗寺院の王龍寺山門です。

海瀧山王龍寺は、奈良市の西部、矢田丘陵の北、富雄川のほとりからすこし山をのぼったところにあります。富雄川は古くは「とみのおがわ」と呼ばれ、平安時代から歌に詠まれてきた、由緒のある川です。

『いかるがやとみの小川のたえばこそ わがおほきみのみなをわすれめ』(拾遺和歌集)

この富雄川から徒歩で二十分ほどのぼったところに王龍寺があります。聖武天皇の勅願によって建立されたと言い伝えられています。古来より人々に親しまれてきた地とあるといえましょう。現在では、王龍寺の山から東の方向を眺めれば、平城宮跡のむこうに東大寺や若草山を一望のもとにとらえることができます。

王龍寺が現在の形になったのは江戸時代の形になってからのことです。江戸幕府五代将軍綱吉の時代、貞享二年(1685)に、栃木宇都宮より本多忠平公(1632-1695)が、奈良の大和郡山十二万石の城主となられました。そして、元禄二年(1689)、現在のこの地に、王龍寺を黄檗宗の寺院として復興・創建し、その菩提寺とされました。

なお、忠平公は、奥州白河、下野宇都宮、大和郡山とうつられましたが、白河在城のとき、寛文四年(1664)、亡母法光院殿七回忌菩提のため黄檗山萬福寺に、范道生の十八羅漢像を寄進されております。そして、ここ王龍寺にも、かなり小ぶりながらも萬福寺にあるのと同じ様式の十八羅漢像が安置されている次第です。

開山は、梅谷禅師です。長崎において、中村姓に生まれました。幼いときより仏教にこころざし、長崎永昌寺において、曹洞禅を学んだ後、黄檗宗第二代木庵禅師に師事し、その法をつがれました。元禄十四年(1701)に、六十二歳で亡くなられました。

また、江戸時代に刊行された『大和名所図会』にも、「海龍山王龍寺」として記載されています。

本尊 十一面観音菩薩像

王龍寺の本尊は、摩崖仏(せきぶつ)の十一面観音菩薩像となっております。

世の中に石仏は多くありますが、その作成の年紀があきらかなものはほとんどありません。そのなかにあって、王龍寺の本尊、この十一面観音菩薩像は、その作られた年紀が刻み込まれて、現在にまで伝わる、数少ない貴重な事例といえます。その銘には、

『建武三季丙子二月十二日大願主僧千貫行人僧千歳』

と刻まれています。建武三年は、1336年になります。

また、その脇には、不動明王像が刻み込まれています。この不動明王像にも、作成の年紀が明記してあります。その銘には、

『文明元年巳年丑十月日僧昌□』とあります。文明元年は、1469年にあたります。

現在の王龍寺は、黄檗宗として禅宗の寺院になっていますが、今につたわる本尊などからは日本の中世のひとびとの信仰の一端をかいまみることができるでしょう。

この本尊は南北朝期を代表する年紀のはっきりした摩崖仏として、奈良市の文化財(史跡)に指定されています。

本堂

本堂は、山門から渓流沿いに300メートルほどののぼったところにあります。江戸時代に、現在の王龍寺の堂宇になった時に建立されたもので、元禄二年(1689)のものです。

本堂の内部には、さらに内陣があり、その奥に、本尊の摩崖仏(石仏)の十一面観音菩薩像があります。本堂の内陣の奥にある岩は、高さ4.5メートル、幅5.5メートルにもなります。そこに王龍寺の本尊が刻み込まれて安置されております。

外陣の左右には、十八羅漢像が安置してあります。これは黄檗宗の大本山、京都府宇治市にある黄檗山萬福寺の本堂(大雄宝殿)に安置されているものと、同じ様式につくってあるものです。江戸時代になって中国(明)より伝わった仏教彫刻として、貴重なものとなっております。

大黒堂

参道から本堂にむかって左の方、さらに石の階段をのぼったところに、大黒堂があります。この大黒堂は近年になってからのものですが、古代中世より連綿と王龍寺が信仰の場であったことを示すものとなっております。

鐘楼

本堂にむかう参道の途中、瀧の横から細い路が分岐していて、鐘楼にいたります。鐘それ自体には銘はありませんが、この鐘の由来を記した元禄七年(1694)の銘版が、王龍寺には伝わってのこっています。

王龍寺の自然(文化財)

自然豊かな参道です。

王龍寺の境内地は、古来より信仰の場であったため、豊かな自然がのこされています。南門ちかくには樹齢三百年をこえるヤマモモの大木があります。また、山門から参道を経て本堂の周囲の山林は、コジイ林として市内でのこされた貴重な里山の自然となっています。これらはともに、奈良市の指定文化財(天然記念物)に指定されています。ヤマモモの古木は、奈良県の保護樹木にも指定されています。

(王龍寺様パンフレットより)

 

水子供養永代供養墓の京都のお寺
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